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世界が注目する素形技術「鋳造」がここにあります 〜鋳物5600年の歴史〜
2020/11/02
人と金属の最初の出会いは紀元前5,000から6,000年で、天然の金銀銅を叩いて加工していました。金属の最初の加工法は鍛造ということになります。そう言えば、日本刀は世界で最も進化した鍛造技術です。金属を溶かして鋳型に流し込み、凝固させる鋳物の技術は、紀元前3,600年ごろ、メソポタミアで始まりました。今から約5600年前のことです。青銅を溶かして型に流し込んだのが始まりです。
紀元前1500年頃のエジプトのパピルスに足踏み「ふいご」で風を送る様子が描かれています。人類は、「ふいご」の発明により、より高い温度を得ることになります。このようにして、青銅器時代を迎えることになります。ちなみに、青銅の融点はCu-25%Snで約800℃です。鋳込みを考えると、溶解温度は1000℃を超えていたのかもしれません。青銅器の謎として、なぜ錫を加えることを思いついたかという問題があります。錫はイランの東(コーカサス地方またはトルクメン)から運んだとされていますが、最初に気づいた人は凄いですね。
人と鉄の出会いは、隕石が最初であったと考えられます。隕石はニッケルを多く含むため鍛造が可能です。隕石には100万年に数度という超スロースピードで凝固したときにできるウッドマンステッテン組織と呼ばれる模様があります。エジプトでBC3000年頃の隕石による鉄環首飾りが見つかっています。
鉄は地球上では酸化しているために、還元をしないと鉄として使えません。鉄鉱石の還元を行い鉄を手に入れたのは紀元前 1700年、ヒッタイト王国だと言われています。砂鉄などを木炭で還元するバッチ式の炉を用い、炉底に溜まった海綿状の純鉄に近い鉄を取り出し、この鉄を加熱鍛造することによって鉄製品を得ていたようです。紀元前800年頃のホメロスの叙事詩には、鉄が非常に高価であることが書かれています。おそらく、金よりもはるかに高価なものであったと考えられます。
また、鍛冶屋の話も出ていることから、ホメロスが生きていた時代には焼き入れ技術も完成していたと考えられます。不思議なことにヨーロッパでは、鍛造による鉄の生産が14世紀になるまで行われ、鉄を溶かして鋳型に鋳込む鋳造は14世紀以降まで行われません。ナイフやサーベルがヨーロッパの武器なのも、この鉄の歴史の差によるものではないでしょうか。溶けた鉄を鋳型に流し込んで鋳造する技術は、紀元前7世紀頃の中国で最初に開発されます。中国の青銅器技術はふいごを使ってかなりな高温を達成していたと考えられており、この技術の流れから炭素含有量の高い鉄を溶解させて銑鉄を開発したと考えられます。
炭素の高い鉄は、溶解温度が約1150℃と低く、湯流れ性も良いことから鉄の鋳造が可能となったのです。紀元前4世紀頃の中国の鋳鉄は、C2.5~4.3%、Si0.1~0.2%、Mn0.01~0.2%、P0.1~0.5% 、S0.01~0.1%程度の成分です。この成分の鋳鉄はSiが低いために、チルと呼ばれる黒鉛のない硬くて脆い組織となります。
鉄の鋳造技術が、ヨーロッパに14世紀まで伝わらなかったのは、この脆さに原因があったのかも知れません。Siの高いチル組織がない鋳鉄が出来るのは、1779年にイギリスで作られたアイアン・ブリッジの頃となります。鋳鉄製の橋(アイアン・ブリッジ)イギリス 紀元前7世紀から産業革命の18世紀まで、鋳鉄は硬くて脆いものであったことになります。粘さがあり、焼き入れで硬くできる鍛造品の鉄が重宝されたこともうなずけます。鋳鉄の性質を大きく変えたのはSi含有量の増加です。チルしない鋳鉄により、鋳鉄は産業を支える重要な素材へと変化してゆくことになります。橋や大砲など多くの鋳物製品が作られるようになります。
近代の鋳鉄には、2つ大きな発明があります。ひとつ目は1940年代に発明されたG.F.MeehanとO.Smalleyによる接種技術を基本とした高強度片状黒鉛の製造方法です。この技術により、引張り強さが300N/mm2以上の高強度鋳鉄が安定的に作られるようになります。
ふたつ目は、1947年にイギリスにおいてMorroghが発見した球状黒鉛鋳鉄の存在です。球状黒鉛鋳鉄の発見により、800N/mm2以上の強度を有する鋳鉄の製造が可能となりました。 日本が1945年の終戦を迎える頃に、鋳鉄の技術は大きく進歩していたことになります。日本は、戦後諸外国の技術を取り入れ、また改良し、世界でトップレベルの鋳造技術を確立していくことになりました。さらに、日本の鋳造技術は、自動車産業の躍進と共に飛躍的に向上していくことになります。